日本における姿勢医学の現在

ピエール=マリー・ガジェ


 現代姿勢医学のもっとも優れた研究者の一人の残した遺産を、母国である日本において誰も受け継ごうとしないとはいったいどういうことなのか、私にはどうしても理解できない。あまりの驚き、ほとんど怒りの念に駆られてこのように叫ばずにはいられない。

日本よ、福田精をどうしてしまったのか?

福田精。1981年奈良にて

 私がこのような疑問を持つのは今に始まったことではなく、既に1994年に、日本の雑誌にわざわざ苦労して日本語で書いた論文を発表したのは、日本人に彼らの師の業績のすばらしさに目を向けてほしかったからにほかならない。しかしそれも無駄だったように思われる。国際学術会議に出るたびに「Barany以来のわくにちぢこまりでられ」ない、すなわちバラニーの神経耳科学理論の罠にとらわれている医師や治療者に繰り返し私は出会うことになったからだ。わざわざ括弧で引用を示したのは、これがまさに福田によるものだからである。彼がこの文を『運動』(1957)の序文で書いたとき、自分の国の専門家たちの蒙は既に開かれたものと思っていたに違いない。というのも、この文はこう始まるからだ。「未だに外国では無意識にであろうがBaranyの以来の」

 少なくとも彼はそう思っていたのだ。<内耳の迷路の二段階>という言葉を発見したときの感激は大変なものだった。同じ序文で彼はこのように書いている。「初めて、私は自分で飛ぶための翼を見つけたのだ。これまで私がその前で立ち尽くすばかりだった神秘の門が次々に開いていった。」これほどの感激は人にも伝わるに違いない、と彼は思っていた。しかし、実際のところ、感激と伝統を隔てる距離はたいへん大きいのだ。

 「迷路反射の二層」、この言葉を見ていただきたい。これを見ても、私たちは何の感激を覚えないのはもちろんであるが、それ以上に理解不能である。しかし福田にとってはこれは素晴らしい発見を内に秘めた宝の箱だったのだ。姿勢、つまり緊張性姿勢活動は、ある一連の法則に従っており、それらの法則さえ手に入れれば、姿勢を自由に制御できる、というわけだ。そして彼はこの緊張(トーヌス)の秘密に、医学やスポーツなどの分野をはるかに越えたところにまで広がる可能性を感じていた。彼は姿勢医学の謎を解く鍵を手にしており、その可能性の全てを察知していたのだ。

 しかし現在の日本では姿勢医学はどうなっているのだろうか。いったい誰が姿勢障害に苦しむ患者を診ているのだろうか。

 姿勢障害患者、すなわち神経学あるいは耳神経学的な疾患を持たずに姿勢障害を患っている人々の診察は、ありとあらゆるところで行なわれており、そのこと自体は結構なことである。だが、これらの「機能性の」、つまり病変や外傷を持たない患者たちは、正しい所見もなされないまま、いわゆる「腰痛」、さまざまな体幹の痛み、ふらつきなどといった姿勢障害的な症状にしばしば長年にわたって苦しめてられており、この苦しみから解放してくれる人を探して、診察室から診察室へとさまよい歩いているのだ。現在、日本では誰がこのような患者を診ているのだろうか?


福田の門下生たち

 桧学(1981)

  もっとも師に忠実で、現在もっとも盛んに活動を行なっているのは桧学氏であると思われる。氏は最近の著作(2003)では師の思想を注意深く検討し、京都の自らの研究グループと行なってきた、嗅覚、神経、腰部等に起因するめまいに関する研究でそれを補っている。しかし、その本の題名『神経耳科学からみためまい』(Vertigo viewed from neurotology)をみれば明らかだが、けっして自分の専門分野から出てはいない。そしてそれは桧氏だけに限ったことではない。このことにより、福田門下生たちは師を神経耳科学の枠に閉じ込めてしまったといえる。

    

  福田の弟子で師の思想の可能性が、この神経耳科学をはるかに越えるものであることを理解したものはたった一人である。牛尾信也氏は、パリで我々と共に3年過ごした後、倉敷と奈良にて三年の間をおいて国際会議を二度主催し、福田もこれに参加している。彼はそれをSymposium on Postural Reflex and Body Equilibriumと名づけている(Ushio et al., 1981; 1984; [1] )。

  その会議録を検討すれば納得されることだが、このタイトルには牛尾氏の方向性がはっきり現れている。また彼は姿勢反射による平衡の制御が、前庭の枠を大きく越えたものであることを確認している(Ushio et al. 1980)。そして、本人の言によれば、この点をより明確にするために、大久保仁氏と共に福田の著作の翻訳を1983年に行なっている。それから…それから1984年に何が起こったのか。なぜ牛尾氏は大学病院での経歴を捨て、雪深い北海道に引きこもってしまったのだろうか。彼は私にその理由を決して説明してくれなかった。しかし、この早すぎる引退を区切りとして、私の知る限り、福田門下生たちの姿勢医学への関心は途切れてしまったのである。

     当時アメリカの医学に代表されていた国際医学の踏み固められた道から逸れることが、まるで「政治的に正し」くないことであるかのように、すべては起こったのであった。これははたして私の考えすぎだろうか。もしかしたらそうかもしれない。しかしいずれにせよ、これはきわめて日本的なことである。というのも、この国では最も優勢な、勝者の例に倣うからだ。その勝者とは普仏戦争後の1880年にはドイツであり、第一次大戦後の1918年にはフランス、そして1945年以来米国である。これはある日本の高級官僚が私に語ったことであるが、彼は第二次大戦直後このような思索を巡らせたということである。そして佐々木修氏もこのような見方を裏付けてくれた。

 佐々木氏は信州大学の耳鼻咽喉科長(当時)の田口喜一郎教授に派遣されて、パリ姿勢医学会で我々とともに仕事をした。その目的は重心動揺サインの非線形的分析を学ぶことであった。彼は非常に優れた功績を挙げた(Sasaki et al., 2001; 2002)が、そのため忙殺され、学会での臨床診察に参加することはできなかった。にもかかわらず彼は、それらの診療で我々がどのような問題意識をもっていたのか、ある程度分かったようである。
 現在、佐々木氏は東京都内のある耳鼻科医院で働いている。彼自身何度も私に言ったように、「姿勢障害」と思われる患者に出会うことがあるものの、姿勢医学の専門家に患者を紹介することができないでいる。それは東京にそのような専門家がいないからというのではなく、そのようなことは「すべきではない」からだということだ。医師は、たとえそれが患者のためになることであっても、「政治的に正しい」ことに背く、あるいはそこからはみ出ることはできない。もしそうしたらその医師本人にとってあまりに危険なことになるからだ…。「2」

懸田利孝

  このような事情のため、日本における姿勢医学の再出発は全く新しい道を通じて行なわれつつある。それは耳神経学ではなく、歯科学を通じてであり、また理論的考察から導かれたというわけでもなく、懸田利孝氏の注意を引いたある奇妙な症例からであった。

     それはある年老いた患者で、完全に歯は抜け落ち、リューマチで体の自由がきかず、反復性のほぼ絶え間ない腰痛や、非常に不安定な歩行に苦しめられ、大学病院の整形外科に長いこと通っていた。さらに年齢を考えれば当然だが、ひどい遠視でもあった。ところが、

  懸田教授がインプラントにより咀嚼器を完全に再構築すると、驚いたことにこの患者は以前のように眼鏡なしで新聞を読めるようになり、腰痛はなくなり、軽やかに小走りすることすらできるようになった。この出来事から数年後の1996年、懸田氏はパリのラリボワジエール病院で、友人でありインプラント学の師でもある、ラファエル・シェルシェーヴ教授に会いに来ていた。
 懸田氏がこの出来事を話すと、シェルシェーヴは当時パリ耳神経学科長だったジョルジュ・フレースを紹介し、フレースは我々のパリ姿勢医学会を紹介したのである。以来、懸田教授は姿勢医学についての自らの知識をまずは東北大学で世に広め、また学会にナマニー教授を招聘し、2004年にはその著書(Nahmani,1990)の翻訳もした。
 ところで、ナマニーは福田の足踏検査を多く使い、生徒たちにも使わせ、それに新たな修正を施したものすら発表している(Nahmani et al., 2003)。福田の姿勢医学の思想はこのようにして、日仏二人の歯科医の共同作業によって日本に戻ってきたのである。だが、この日本における福田の思想の帰還は、吉田氏や富永氏のような、他の専門分野からも行なわれつつある。

仙台歯科衛生士学院の学生に向けられた、メルスマン(ミアセマン)操作の解説。佐々木英夫教授提供
吉田実

 吉田実氏は、17歳のときの交通事故により頭蓋内部に軽度の損傷を負い、西洋医学を修めた医者たちが頭蓋損傷の後遺症を治せないことに気づくことになる。
ところが、東洋手技療法により症状の改善をみたことにより、彼は鍼灸指圧、マッサージ、整骨に志し、整形外科や外科医に従いこれらの治療法を8年にわたって施した。この時期、彼は西洋医学にも親しみ、北米のカイロプラクターと交流を持つようになった。これらすべての研究や臨床の経験から、やがて彼は姿勢の重要性に少しずつ目を向けるようになる。インターネット上で、姿勢医学を扱った一冊のフランス語の本を見つけると同時にそれを注文したのはそのためである。読み始めて、重垂線と水平維持の力の多角形の分割を用いて姿勢を研究する術を学ぶ必要があると考えていたのが実は自分ひとりではないと知り、嬉しくなった。
吉田実

この発見に力を得て、主に器具によって行なわれる、新たな姿勢検査の方法を作り上げた。それは姿勢と様々な姿勢反射を一種総合したものである。被験者は8分割された感圧台の上でおよそ三分間直立し、15秒ごとに姿勢を変える。頭をまっすぐに、前に傾け、後ろにそらし、目を開け、閉じ、右に向け、左に向け、右に倒し、左に倒す。そして、独自のアルゴリズムを使って、記録時間中の両足にかかる圧力の平均値の図式を、得られたデータから抽出する。この姿勢状態と姿勢反射を凝縮したグラフは、彼の東洋治療士としての仕事を着実に導くものとなっており、彼は実際多くの弟子を持つほどになっている。
 私は吉田氏が福田について語るのを聞いたことがない。さらに、臨床姿勢医学を自分は西洋から受け取ったと見なしている印象すら受ける。

吉田実氏の診断器具。感圧器とバレー(Barr氏j重垂線、および正面、側面、背後を同時に観察できる合わせ鏡を組み合わせたもの。吉田氏のサイトより転載(http://www.science-cure.com/) 足裏の接触面における圧力配分の検証。吉田氏はこれを8分割し、力の配分をパーセントで表す。吉田氏のサイトより転載

(http://www.science-cure.com/)

重垂直線を基準とした診察。吉田氏のサイトより転載(http://www.science-cure.com/)
記録中、被験者は15秒おきに姿勢を変える。Cranial therapy and occlusal contact(Yoshida, 2004)の図版
足裏の接触面における圧力配分の検証。吉田氏はこれを8分割し、力の配分をパーセントで表す。吉田氏のサイトより転載

被験者の両足はそれぞれ4つの感圧器の上に置かれる。吉田氏のサイトより転載(http://www.science-cure.com/)

富永正志

歯科を専門とし、懸田氏が設立に関わった日本全身咬合学会の、設立時からの活動的な会員である富永医師は、ギュゼーのクォードラント・セオレム(Guzay 1976; 1977 a & b)を手がかりとして、咬合不良と第一頸椎の変位との関係、およびそれにより引き起こされる姿勢医学的な結果を確認した。そしてまず脊椎と後頭部のつなぎ目の放射線診断技術の緻密な研究を行い、自らの診療をこれらの検査から得られたデータに基づいておこなった。
 それから富永氏はさらに咬合不良と第一頸椎変位、そして経絡における陰陽のエネルギーの停滞との関係に気づく。
 その結果、氏は自らの診療に数多くの技術を導入することになる。生命エネルギー循環の器具による測定、歯および歯周組織、咬合の古典的治療法、頸部や全身を対象とした整骨療法、そしてさらに最近では操体が挙げられる。しかし、これらすべてを含む富永氏の業績の中で姿勢医学という用語が頻繁に用いられているにもかかわらず、福田の名が言及させることは一度もない。
気の検査のために電極が配置される
気の測定結果のダイアグラム
それぞれの経絡における陰陽の気の配分はAMI装置によって測定される

(経絡・臓器機能測定器(AMI)の説明より。富永氏)

結論

日本の姿勢医学をめぐる現状についてのこの短い報告は、この問題についての長年の研究に基づいた結論ではない。ここで語られていることはいくつかの具体的な事実であるが、これが網羅的であると主張するつもりは一切ない。今回、たとえば福島英行博士に意見を聞いていないが、彼は福田の足踏検査について重要な研究をしている(Fukushima et al., 1979)。彼は1994年の私の雑誌論文に多少反応を示し、当時は姿勢医学を診療に用いていくのではと思われた。それ以来の彼の沈黙を、私は牛尾氏や佐々木氏に起こったことと同様のことが起こったのではと解釈しているが、はっきりとした確証がある訳ではない。とはいえこのように留保付きではあるものの、福田精が日本で正当な評価を受けていないと言っても言い過ぎではないと考えている。本来であれば、西洋医学思想の罠から解放され、日本の知的活動のバイタリティーに誇りを持つ、一世代すべての姿勢医学の専門家たちの先駆者として扱われるべきであろう。そしてこのような事実を前に新たな疑問が起こってくる。この失敗の裏に何が潜んでいるのだろうか? しかしこれに答えることは、姿勢医学の枠を超えてしまうのではないかと思われる。

参考文献

Chercheve R. (1996) — Implantologie de sécurité. Maloine, Paris.

Fukuda T. (1957) — Undô to Heikô no hansha seiri. Igaku Shoin, Tokyo. (Traduit en anglais en 1983: Statokinetic reflexes in equilibrium and movement. University of Tokyo Press)

Fukushima H., Yamamoto E., Morinaka S., Iwanage S., Nakanishi M., Izumikawa F., Hinoki M. (1979) — Correlation between movements of the upper limbs during stepping in relation to body equilibrium. Agressologie, 20, B, 147-148.

Gagey P.M. (1994) — In defense of clinical stabilometry according to Fukuda’s way of thinking, Equil. Res., 53, 339-345, (en japonais).

Guzay CM (1976) Introduction to the quadrant theorem. Basal Facts, 1 (4):153-60.

Guzay CM (1977, a) Quadrant theorem--part two. Basal Facts, 2, (1):19-33.

Guzay CM (1977, b) Quadrant theorem. Part III. Basal Facts, 2(4):171-83.Hinoki M. (2003) — Vertigo viewed from neurotology. Kanehara, Tokyo (en anglais)

Nahmani L. Amiel M., Casteyde J.P., Cucchi G., Dubois J.M., Hartmann F., Jacquelin L.F., Mrejen D., Servière F. (1990) — Kinésiologie; Théorie et pratique. Tome I. Comedent, Paris.

Nahmani L., Zarrinpour A., Lévy M., Thiry G., Jaïs L., Gagey P.M. (2003) — Validation du test de piétinement naturel de Nahmani (TPN) et comparaison avec le test de piétinement de Fukuda (TPF). In M. Lacour (ed.) Posture et Équilibre. Physiologie, Techniques, Pathologies. Solal, Marseille. 63-70.

Sasaki O., Gagey PM., Ouaknine AM. Martinerie J. Le Van Quyen ML., Toupet M., L'Héritier A (2001) — Nonlinear analysis of orthostatic posture in patients with vertigo or balance disorders. Neuroscience Research, 41, 2, p.185-192.

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Ushio N., Hinoki M., Nakanishi K., Baron J.B. (1980) — Rôle of oculomotor proprioception in the maintenance of body equilibrium; correlation with the cervical one, Agressologie, 21, E, 143-152,.

Ushio N., Kitamura H., Matsunaga T. (1981) — Postural Reflex and Body equilibrium II, Publié par The Society of Nara Otoneurological research, imprimé par Tenri Jihosha, Tenri.

Ushio N., Kitamura H., Matsunaga T. (1984) — Postural Reflex and Body equilibrium III, Publié par Ethical Kampo, Tokyo, imprimé par Tenri Jihosha, Tenri.
Yoshida M. — (2004) Cranial therapy and occlusal contact. J. Japanese Academy of Occlusion and Health. 10, 2, 53-60

(翻訳 下田隆之)


「1」第一回のシンポジウムの会報は手許にない。

「2」こういった主流派からの圧力はフランスにおいても今なお存在する。姿勢制御が本質的に神経学的な現象であることを知っていても、フランスでは神経科医は体位障害者を診ることはできない。さもなくば自分の患者たちに「どうでもいいその他」を混ぜることになり、他の神経科医に不真面目な診察医であるという印象を与えてしまうことになる。我々は「政治的に正しい」かどうかという尺度ではかられる医学へと進みつつあるのだ。

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